Chronos Moon

「関西人の語る雑談日記」 「懸賞・宇宙・音楽・漫画・自然環境・地域の話題も話します」


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らいとNGC7000

Author:らいとNGC7000
神戸市在住・演劇・星見・
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2008/07/25 02:01|
 

功名が辻第33回母の遺言 

天正十五年(1587)三月、秀吉軍は九州攻めのために大坂を出陣しました。しかし豊臣秀次の宿老の一人である一豊は留守居役になりました。
千代「お加減でも悪いのでございますか?」一豊「いや。」
千代「お口にあいませなんだか?」
康豊「姉上、兄上は九州攻めに加われぬことがご不満なのでございます。」
千代「誠でございますか?ご出陣になった皆様には、申し訳なく存じますが、私は此度、旦那様がご出陣なさらぬと聞いて、心からうれしゅうございました。」
2006_33_12006_33_2

一豊「千代の気持ちはわかっておる。されど、刀や槍を振るうてこそ、武士の本懐じゃからのう。」
康豊「兄上、上様は日ならずして九州を平定されましょう。島津など赤子の手をひねるようなもの。されば、今は戦より、秀次様を盛り立てることをお考えなされませ。上様の御跡継ぎは秀次様にございます。」
一豊「康豊、わしに意見する気か。」
康豊「兄上のために申し上げておりまする。槍を振るう暇があれば…。」
上川一豊「黙れっ!(▼▼メ) わしとて、己の事はようわかっておる。石田三成の如く、銭勘定で名を上げることなどわしにはできん。戦場で功名を立てることしかわしにはできん。それゆえ悩んでおるのじゃ。」
康豊「ならば、学ばれませ。」一豊「なに?(`´X)」
康豊「今は秀次様の御領地、八幡城下の町づくりに精を出すとき。中村殿、堀尾殿と力を合わせて、秀次様の御領内を豊かになさることでございます。一豊「康豊、庭に参れ。」
2006_33_32006_33_4

一豊「剣の世でなかろうとも、武士は強くなければのう。」
康豊「兄上は、上様が永遠に生きておられるとお思いか?」一豊「何ぃ?(`´X)」
康豊「上様亡き後、再び戦乱の世になることをお望みか?政(まつりごと)で民、百姓に幸せをもたらすのは上に立つ者の大事な務めでござりまするぞ。」
一豊「何年も会わぬうちに、強うなったのぅ、康豊。されど、わしはわしじゃ。お前の指図は受けん。」
千代は心配そうに二人の様子を見つめるばかりです。

千代「たった二人の兄弟です。何とか仲良く山内家を盛り立てて行って頂きとうございますが。」
祖父江新右衛門(前田吟さん)「あ、はいはい。(´ー`)(頷いています)」
千代「新右衛門?聞こえていますか?」吟「あ、はーいはーい。」
新右衛門は菓子をもぐもぐ食べています。千代「はぁーっ。(溜息)」
吟「法秀様にご相談なさってはいかがでござりましょう。男は母親には頭が上がらぬもの。仲良くせよと、法秀様に言うて頂ければ。」
千代「されど、母上にご心配をおかけすることは…。」
吟「法秀様にとっては、一豊も康豊様もお幾つになられても、可愛いお子たち。ご心配も楽しみのうちでございまする。」
千代「新右衛門は、耳が遠いのか遠くないのか、わかりませんねぇ。(^-^)」
吟「あーはーいはい。(^-^)」
千代「では新右衛門。母上のところに参ります。」
吟「どちらへ?(・∀・)?」
千代「長浜の、母上のところです!」
吟「あっはっはっは、はーいはい。(^-^)」千代「では…。」
吟「御方様、どちらへ?(・∀・)?」
千代は振り返り、むっとした表情に。そのまま出かけて行きます。
2006_33_52006_33_6
長浜の法秀尼の庵に着いた千代ですが、法秀尼は四、五日前から風をこじらせ、前の晩から床に伏せっていました。
近江八幡城では、信長様ご存命の頃の安土のような城下町にしたいという羽柴秀次に、中村一氏は、日本中の承認が集まる町にせなばなりませぬ、と具申します。堀尾吉晴は、琵琶湖を利用して水を引き、城下に掘割を作れば、町に人が集まりましょう、と提案します。
2006_33_72006_33_8
一氏「水を使った戦、水を使った普請、水を使った商いは豊臣のお家芸でございまする。」
秀次は良い考えじゃ!と喜びます。恐れながら、と康豊も意見を述べます。「この地ならではの名物として、い草などはいかがでございましょう。」秀次は一豊に、そちの弟は面白いことをいう、と笑顔で褒め、堀尾吉晴に掘割の普請を進めるよう命じました。一豊は何も意見を述べることはありませんでした。

法秀尼が倒れた原因は、雨の日も観音堂へ通っていたからでした。
一豊と康豊のことが気にかかり、お百度参りをする法秀尼の姿がありました。2006_33_9法秀尼は一豊と康豊の幼い頃の思い出を千代に話します。二人が遊んでいて、家臣の子供を怪我をさせた康豊を父が激しく叱り、一豊が泣きながら庇ったこと、旦那様のお顔も拝みました、と語ります。法秀尼「よねのことは残念じゃったが、そなたと一豊はきっと幸せになります。私は、それだけを祈っておりました。」法秀尼は息遣いが荒く、苦しそうです。なおも続けて、「一豊をよろしゅう頼みます。」
千代「母上。」法秀尼「筆と紙を持ってきて下され。」千代「母上?」
法秀尼「この病を越すことはできますまい。」
千代「母上、母上そのような…。」
法秀尼「泣くことはありません。人はいつかは逝くのじゃから。」
千代は涙を流します。
新右衛門を伴って一豊と康豊が駆けつけましたが、法秀尼はあの世へ旅立った後でした。
千代「息を、お引取りになる間際まで、お二人の事を気にかけておいでになりました。」千代は法秀尼の遺言を渡します。
千代「お二人にご遺言を書かれようとされたのでございますが、すでに筆をお持ちになるお力もなく、最後に私にお伝えになりました。」
一豊「何と?」千代「一豊、康豊、お互いの異なる性分を尊びなされよ。」法秀尼の言葉が続きます。「考えが違うということは、実は、素晴らしいことなのです。山内家が間違った道を歩まぬよう、互いの意見を戦わせよ。」
千代「お二人への最後のお言葉は、互いに学びあうことを忘れてはなりませぬ。そう仰せになられました。」
一豊「康豊、母上の仰せになったとおりじゃ。そちの意見を聞かなんだは、わしの不徳じゃ。許せ。」
康豊「某こそ。母上は何もかもお見通しだったのでございますな。(泣)」
千代は庭に出て、法秀尼とのことを回想します。そして泣き崩れます。
一豊「千代に看取られて、母上はさぞ幸せであったろう。有り難く思うぞ。」感謝の気持ちを述べて抱き合います。

天正十五年(1587)八月、九州を平定した秀吉は大坂へ戻りました。
【大友宗麟や島津家の武将たちは登場しませんでした。】
大坂城での茶々と石田三成の場面です。
2006_33_112006_33_12
茶々「九州での働き、聞いたぞ。」 三成「恐れいりまする。」
茶々「残るは関東の北条だけか。」 三成「北条を落とせば、奥州の伊達もなびきましょう。さすれば天下は関白様のもの。」
茶々「天下はまだ落ちぬわ。」 三成「はっ?(・∀・)?」
茶々「茶々は落ちぬ。猿の思い通りにはならぬ。(`´X)」

秀吉「九州で、恐ろしきものを見た。切支丹じゃ。民、百姓は切支丹の神、デウスとやらを敬って、城主の言うことを聞かん。あれでは天下は治まらん。よってバテレンを追放することとした。よいな。」 家臣一同「はっ。」

細川家で父、幽斎と息子、忠興が玉のことについて言い争う場面です。
2006_33_132006_33_14
忠興「玉は、切支丹ではないと申しております。」
幽斎「ならば、良いが。クルスでも隠し持っておったら、その場で成敗致せ。」
忠興「本能寺の変後も、味土野に幽閉して生き延びさせた命でございます。そのようにたやすく仰せになりますな。」
幽斎「あの女子には、細川家を滅ぼすような妖気がある。わしは好かん!(`´X)」
忠興「父上の奥方ではございませぬ!玉は某の妻でございます。」
幽斎「忠興、何事も細川家のためじゃ。」

山内家で康豊にも奥方をめとらねばという相談をする場面です。
一豊「亡き母上にご安心頂くためにも、康豊、妻をめとらねばのう。千代に任せるが、良いか?」 康豊「はっ。」
一豊「気のない返事じゃのう。誰ぞ、好いた女子でもおるのか?」
康豊「いえ。そのような…。」
一豊「どこぞのご内儀に横恋慕でもしておるのなら、諦めよ。母上を悲しましてはならん。」 康豊「心得ておりまする。」
一豊は頷いて、千代に目配せをして退室します。
千代「寧々様やいと様、とし様とも相談して良き姫を探しまする。」
康豊「お願い致しまする。」
2006_33_172006_33_18
南蛮寺が見る影もなく破壊されています。
クルスに手を合わせる玉(ガラシャ)と侍女。
康豊「怪しい者ではございませぬ。味土野でお助け頂いた者でございまする。」 玉「!」
康豊「味土野でお世話になった山内康豊にござります。」
玉「どなたのことを仰せでしょうか。私はガラシャと申します。私共にどうか、お関わり下さいますな。味土野のことは、遠い霞の向こうのこととなりました。」
康豊「お命を、お命をどうか軽んじなされまするな。」
一豊と千代の勧めで水野家の娘と祝言を挙げたのは、それから間もなくのことでした。

京の聚楽第(じゅらくてい)の場面です。
秀吉はこちらに住処を移し、京に上ることの多くなった秀次に従い、
千代と一豊も京屋敷で暮らすようになりました。
2006_33_192006_33_21
北政所(寧々)と秀次の宿老の奥方達(いと、とし、千代)の場面です。
いと「近江の者がやっきになっておりますそうでございますねぇ。」
寧々「石田三成のことであろう。」
とし「これは、はっきりと。」
いと「福島正則殿、加藤清正殿が、寧々様をおふくろ様と慕われますように、石田三成様は、茶々殿にすっかり擦り寄っておられるそうではございませぬか。(`´X)」
千代「私も、近江の出ではございますが、尾張生まれの寧々様とも、いと様とも、とし様とも親しゅうさせて頂いておりまする。(^^)」
とし「山内様は尾張のお人ではございませぬか。」
寧々「うちの人がいずれ茶々殿を側女にするでありましょう。
三成はそれを待っているやもしれません。」
とし「やはり上様は、茶々様を。」
寧々「お市様のお子ですゆえ、うちの人が欲しがらぬはずがない!(▼▼メ) 」
いと「豊臣家の台所は、今すべて石田様が握っておるというではございませぬか。戦のための金子も、石田様の一存で決まるのだそうでございます。この上、茶々様が上様の側室となられれば、我らが夫をはじめ、尾張の者は働きの場を失いまする。」
寧々「そのようなことはさせぬ。心配するでない。」
いと・とし、声を揃えて「誠でございますか。」
寧々「豊臣家は、うちの人と私で育てた家じゃ。<(`^´)>
いくら三成が聡明であろうと、私が許しませぬ!(`´X) 」
いと・とし「寧々様。(・∀・)頼もしい〜。(嬉)」

一豊が城の修築のことを千代に話す場面がありました。
2006_33_24
淀城を修築するために、山内家からも人を出さなければならん、と少しぼやきます。
茶々様のお城では?と言う千代に、
一豊は、北政所様を差し置いてそれはないだろう、と話します。
2006_33_20

秀吉は茶々に会いたい気持ちが強く、
「明日の夜、寝所に向う。北ノ庄から四年待った。
もう待てぬ。(`´X)良きにはからえ。」
和歌を詠んで送ります。

想い寝の 心御津に 通ふらむ 今宵逢いみる 手まくらの夢
【柄本さんの衣裳がいろいろ変わっていく事が凄かったです。】
2006_33_22
茶々は石田三成を呼び出し、最後の相談をしますが、
忠誠心の高い三成は茶々の申し出を断り、
秀吉の側室になり子を産むように諭します。

寝所に訪れた秀吉に対して、茶々が詠んだ歌です。

あすよりは 若葉摘まむと しめし野に 昨日も今日も 雪は降りつつ
2006_33_23

ある朝、屋敷の門の前に捨て子が置かれていることに侍女が気がつきます。
千代はその子を抱き上げるのでした。
「法秀様のお導きかもしれぬ。」

これはちょっと?と感じるところも時々ありますが、
わかりやすくて、面白い大河ドラマだと思います。
今まで読んでくださりありがとうございました。
これからも最後まで「功名が辻」を見て下さいね。(^^)

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2006/08/24 07:46|功名が辻TB:0CM:8
 

功名が辻第32回家康の花嫁 

千代と一豊は最愛のよね姫を失いました。天下は関白となった秀吉のものになろうとしていました。寧々が京の屋敷をお見舞いに訪れます。2006_32_1千代「お待たせを致しました。」寧々「よいのです。よねを失って、そなたがすっかり気落ちしていると聞き見舞いに参ったのです。」いつまでも嘆いているばかりでは家臣達に示しがつかぬ、と千代は立ち直るべく頑張っていました。千代「私にはまだ生きて果たすべき務めがあるのだと、そう思いなおして戻ってまいりました。」寧々「ならば話を聞いてくれるか。」徳川家康を上洛に導くために秘策を考えてきたのです。家康は正妻の築山殿を織田信長の命により自害させてからは正室を迎えていませんでした。家康の正妻として旭殿をもらっていただく、と寧々は言うのです。寧々「羽柴と徳川は義兄弟となり、徳川も兄の命には断れまい。」千代は人質として旭様を?と驚きます。旭には副田甚兵衛という夫がおります。寧々「自然と夫婦別れしてくれれば、それにこしたことはないのじゃがのう。賢いそなたならば良い考えが浮かぶのではないかと思い、参りました。」千代は戸惑います。旭と甚兵衛は大坂城下で仲睦まじく暮らしておりました。2006_32_22006_32_3千代は一豊に相談します。上川一豊「上様も変わられたのな。北政所様も変わってしまわれたのう。」仲間千代「何とか旭様と副田様をお守りする手立てはないものでございましょうか。」一豊「上様の命に背くと申すのか。」千代「上様のお気持ちを変えていただくことは … 」一豊「できるわけがなかろう!(`´X)上様はもう藤吉郎殿であった昔とは違う。朝廷すら思いがままの関白殿下ぞ。」千代「されど、旦那様と私が旭様を侍の暮らしに引き込んだようなもの。」一豊「千代、思いはわしとて同じじゃ。じゃが、上様の気持ちを変えることは誰にもできん。」千代は溜息をついて「人質などと家族が離れ離れになるような、そんな不幸は見たくありませぬ。」大坂城下のなか(大政所)を訪ねます。
2006_32_4菅井なか「藤吉郎と寧々さはそげなこと考えとるんか。」千代「上様と北政所様のお気持ちをお変えいただくには、大政所様のお力におすがりするより、ほかにないと存じまして。」なか「旭は藤吉郎の妹であるみゃあに、おらの娘じゃ。藤吉郎の好きにはさせん。(`´X)」千代「お願い致しまする。」なかは久しぶりに藤吉郎をぶん殴ってやるわ!と秀吉のもとへ出かけて行きます。2006_32_5柄本秀吉「おっかー、何ぞ用か(・∀・)?」なか「(▼▼メ) 殴!」秀吉「い、痛ーい。な、なにをするねん、おっかぁ。(・∀・;)」なか「おみゃあは猿の顔をした人だと思うとったが、猿の顔をした鬼じゃ。(怒)」秀吉「あぎゃあ?(・∀・)?」なか「寧々さん、おみゃあさんも鬼や。(怒)」浅野寧々「夫のためには、鬼にもなるのが、誠の妻でござりまする。」なか「寧々さんは黙っときに!ここはおらと藤吉郎の腹を割った話じゃて。(怒)」寧々「左様でござりまするか。ならば、私は失礼致しまする。お前さま、おっかぁ様には負けてはなりませぬぞ。」秀吉「一体何じゃ?」なか「旭を家康にやることは許さん!(`´X)」2006_32_62006_32_7秀吉「おっかぁ。耳の穴をかっぽじいてよう聞いてちょうよ。わしがやっと築いた羽柴の天下を磐石にするためには人柱がいるんじゃ。一族が身を切れば、徳川も大名も納得するんじゃて。(`´X)」なか「それが何で旭なんじゃ。人質ならおらが行ったる。」秀吉「おっかぁが?」なか「わしが家康のところに行ったる。<(`^´)>」秀吉「ふんっ。いくら何でもおっかぁではな。向こうが嫁にもろてくれんわ!(`´X)」なか「人質ならどっちでもええではないか。」秀吉「旭がうんと言うてくれなんだら、今できたばかりの羽柴の天下は崩れ去るんじゃ。それほど徳川家康という男は、おっそろしい男なんじゃー!」なか「そんな恐ろしい男の妻に旭をやることはならん!」2006_32_8千代は旭を訪ねたとき、ちょうど甚兵衛が大坂城へ登城するところでした。千代は旭に、長浜に身を隠し時を稼いで様子を見るのがよい、と勧めに来たのです。しかし、旭に大坂城からの使者が訪れます。「関白秀吉より、急ぎ大坂城へ上がられますように。」千代は驚き、再度旭に長浜へ、と勧めますが、旭は千代の身を気遣い申し出を断ります。自分を匿えば、山内家に災難がふりかかると思ったからです。実の妹である自分ならば、関白秀吉に対して文句も言える。そう考え旭は大坂城へ行くことを決心します。その頃、大坂城では関白秀吉が副田甚兵衛を呼び出していました。秀吉「久しいのう、甚兵衛。」野口甚兵衛「関白様にはご機嫌うるわしゅう、お慶び申し上げます。」秀吉「此度、そちを五万石の大名とする。その代わり、わしの命をきけ。」甚兵衛「何なりと。」秀吉「旭を離縁せよ。」甚兵衛「…それは何ゆえ。旭をどうなさるおつもりでございますか。」秀吉「理由は知らずともよい。」甚兵衛「女房を五万石で売れ、と。」秀吉「どのように思うてもよい。すでに旭は承知じゃ。」2006_32_9甚兵衛「何と…。(落胆)」秀吉「よいな。」甚兵衛「お待ち下さいませ。それがしは上意により、旭を貰い受けましてございます…。」黒田官兵衛が甚兵衛を遮ります。秀吉「天下安寧のためじゃ。」甚兵衛「お断り致す!(怒)」▼寧々「甚兵衛殿は先ほど、五万石の大名となられることと引き換えに、そなた様との離縁を承知なさいました。」旭「甚兵衛さんに会わせてくれ。兄さには逆らえん。けれど甚兵衛さんと話をしないと、おら、諦めきれん。甚兵衛さんは誠に承知なされたのか?」寧々「お諦めなさいませ。」旭「おっかぁ様は何と?」寧々「民、百姓の平穏なる暮らしのため、一族が身を切ることは致し方ない、との仰せでございました。」旭「みんな、それでええんだな…。」旭は諦めの気持ちです。甚兵衛は単騎、城を後にしました。「関白秀吉め!」
2006_32_102006_32_11一豊は婚儀をまとめるために三河に向います。家康に千代を妻に欲しいと言われ、戸惑う一豊の姿もありました。単なる戯言だと言う家康。徳川家の重臣達に大受けでした。(´ー`)関白秀吉からの旭姫の輿入れの件、家康は一晩考えさせてくれ、と返答します。本多忠勝、井伊直政も同席し、家臣団は反対します。しかし家康はここは断るべきだないだろう、と判断。旭を正室に迎え入れることを承諾します。
2006_32_122006_32_13城を身ひとつで出た副田甚兵衛が、農家の大根でしょうか。淋しく食べる姿がありました。切なかったです。旭は千代に頼みごとをしました。甚兵衛にふみが書きたいのだけど、字を書けないので、千代に代筆をしてほしい。もしも会うようであれば渡してほしい、と。甚兵衛と暮らした、決して長くはない期間の想い出を語ります。甚兵衛のことを思いやり、自ら腹を切る人間ではないけれど、どこかに仕えても何をやっても生きていて欲しい、私の心はいつまでも甚兵衛さんの妻です、とふみに託します。旭は源助を亡くし、甚兵衛と別れさせられもう流す涙はなくなってしまった、これ以上泣きはしません。ということもしたためます。天正十四年(1586)五月十四日、旭は浜松城の徳川家康のもとへ嫁いでゆきます。
2006_32_142006_32_15家康は気遣い、旭を大事にします。ところが、上洛しませんでした。秀吉「狸め、まーだ上洛せぬわ。(・∀・)」寧々「まさか私を。(・∀・;)」「いよいよおらの出番じゃろ。」と大政所のなかが現れます。秀吉も本当は妹を家康に嫁がせたくなかったのです。その上、実の母親までも人質に出さなくてはいけないとは…。涙します。蜂須賀小六は大政所まで人実に出すことを知り、怒ります。しかし、秀吉の右腕として活躍してきた小六は倒れ、亡くなってしまいます。小六と秀長(秀吉の弟)の早い死が豊臣家を滅亡に導いたのかもしれません。
2006_32_16家康と大政所の対面の場面です。家臣達が本当に大政所本人が来るのか?との疑念を抱いていましたが、旭が抱きついて泣く様子を見て、その疑いは晴れました。大政所「わしはこれからおみゃあのおっかーだ。」家康「よう参られた。」家康はついに屈し、天正十四年(1586)10月26日、一万の軍勢と共に大坂へ上ります。
家康が拝謁を控えた前夜、大坂の羽柴秀長の屋敷に泊まっている家康のもとへ秀吉自らが訪れます。狐につままれたような家康。長篠の戦以来、11年ぶりの対面でした。秀吉は特別に用意した酒肴を前に、一杯飲んでみせます。秀吉「毒などは入ってござらん。酔うてしまう前に、一つ、頼みごとがござる。」【根回しです。(´ー`)】秀吉「諸大名のおる前で対面つかまつる。それがしは背骨が反り返るほど反って、尊大な体をなしまするが、どうかお気を悪くなさいまするな。徳川殿もどうか慇懃(いんぎん)にお礼儀していただきたい。心は別じゃ。心は。体裁だけでよい。」家康「心得ておりまする。」秀吉「頼みまする。何事も天下安寧のためと存ぜられ、ひとえにお頼み申す。」
2006_32_172006_32_18

翌日、大坂城で家康が関白秀吉に拝謁している場面です。
秀吉「兵十万を率いて三河に出向き、しょっぴいてやろうと思って
いたところじゃ。はっはっはっはーーー。」
家康「この家康、危うくの命拾いでござった。されど殿下、
その陣羽織召されたまま、お戻りになることかないましたかいな?」
家康が驚く発言をします。続けて、陣羽織を所望する家康。
座に緊張が走ります。
2006_32_192006_32_20

秀吉「これは我が軍用の品。我が兵を率いる印であるぞ。」
家康「さればでござる。さればでござる。我ら、かように殿下のお側
に侍りましたるうえは最早、陣羽織、甲冑などはご無用に
ござりまする。この家康めが全ての兵馬の労をおとり申しますれば、
その印として、その陣羽織、ぜひに頂戴つかまつりとう存じまする。」
秀吉「家康、そちはもうこのわしに戦の苦労をさせぬと申すか!」
家康「御意。」
秀吉「はははーーーっ。これはこれはよい妹婿を持ったものじゃ。」
自ら陣羽織を家康に授けます。秀吉「肝を冷やしたわ。(・∀・;)」
2006_32_21
千代「これで戦がなくなるとよいのですけれどね。よね。」
天下安寧を願って千代は祈りを捧げます。
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2006/08/17 10:26|功名が辻TB:1CM:6
 

功名が辻第31回この世の悲しみ 

2006_K31_1秀吉は権力を持つようになり、千利休に命じて黄金の茶室を作らせておりました。天正十三年(1585)、長浜城では千代が虫の音に聴き入っています。▼康豊「姉上、虫の音をお聴きですか。」千代「はい。よねが虫が好きなので付き合っておりまする。今も虫の寝床を作ると言って、木の葉を集めに走って行きました。」康豊「よね姫は、男の子のような姫でございますな。」千代「誠に。裁縫や読み書きより虫など生き物と遊んでいる方が好きだと申しております。」康豊「よね姫は幸せでございますな。兄上、姉上に可愛がられて。(^^)」千代「人質に出されたり、政のために弄ばれる姫をこれまで何人も見てまいりましたけれど、よねにはそれだけはさせたくありません。」康豊「よね姫には味土野に幽閉されておられた、玉様のような目には、遭わせたくありませんな。」▼よねが、母上〜!と走ってきます。手には自分で作った虫籠を持っています。2006_K31_2康豊「このような狭い籠の中に、閉じ込めては、コオロギがかわいそうじゃと思わぬか。虫の寝床はよくできておるが、コオロギを捕まえるのはどうであろうか。コオロギは親兄弟と離れた悲しさで、よい声で鳴かなくなるやもしれぬと、わしは思うがな。」千代「叔父上はよいことを仰せになります。よね、こうして虫の音を聴いているだけでもよいではありませぬか。」よねはせっかく作った虫籠なのに…と残念そうです。コオロギを捕まえようとしますが、逃げられます。康豊はよきものを作ろう、と言い、草を器用に折り、よねに渡します。よね「叔父上、ありがとうございます。」よねは部屋に飾り、康豊の親切な気持を思い、笑顔で床につきます。2006_K31_3上川一豊「そろそろ康豊にも嫁を見つけてやらねばならんのう。(´ー`)千代に任すゆえ、母上と相談をして、よき嫁子を見つけてやってくれ。」千代「もしや…もしやでございますが、康豊殿は、玉様をお好きなのでは?」一豊「何じゃと?(・∀・;)?」千代「先ほど、よねとお庭で遊んでおりましたら康豊殿が … 。」と千代は康豊がよねに話していたことを伝えます。「コオロギが何なのじゃ。(`´X)」と言う一豊に、千代は、「幽閉された(細川)玉様とコオロギを重ね合わせたのだと思います。たとえ虫一匹と言えど閉じ込めてはならぬ、自由を奪ってはならぬ、と。」一豊「たわけが!(怒)玉様は細川忠興殿の正室ではないか。横恋慕などもってのほかじゃ。(▼▼メ) 」千代「もしやと思うただけでございます。ただ、康豊殿にとって玉様は命の恩人。ほのかな想いを寄せられるくらいならよいではございませぬか。」2006_K31_5一豊「ほれ、千代まで何を言い出すのじゃ!(`´X)」千代「人の心は法度では縛れませぬ。」一豊「されど。」千代「旦那様とて私以外の女子に、お心を奪われたことがお有りでございましょう。それもお心だけではなく。」一豊「あ。待て。待て待て待て。(・∀・;)昔の話ではないか。執念深いのう。」千代「明日は今日へ出立でごさいましょう。早くお休みになられませ。」一豊「おっ。そうじゃそうじゃ。(・∀・)うむ、寝よう寝よう。」【立場がやばいと思った一豊は、あっという間に寝てしまいます。(´ー`)】
2006_K31_62006_K31_7▼よねが千代に向って、将来は叔父上の嫁になりたい、と言い、困らせる場面がありました。千代は驚きますが、恋をすることはよいけれども、叔父と姪という関係は忘れないように、とやさしく諭します。
2006_K31_8一豊は京の妙顕寺に呼ばれます。織田長益(有楽斎)と共に岡崎へ行き、徳川家康を口説いて参れ、という命を受けます。家康は秀吉の再三の上洛の命を拒んでおりました。一豊は家康とは金ヶ崎の戦の際に、殿軍として死に物狂いで共に戦った仲でしたので、交渉役として見込まれたのです。成功した暁には十万石にしてやろう!励め。と柄本秀吉ははっぱをかけます。
2006K31_102006K31_11

岡崎に着いた一豊一行は鷹狩りをしていた家康と対面します。関白秀吉の使いの者として参った事を伝え、交渉を始めます。しかし、家康は信長に京を案内され、十分もてなしも受けたことを話し、都は恋しくない、(上洛はできぬ)ということを伝えてきます。上洛しないのならば、三河に攻め込むことを匂わす一豊たち。家康もそのように脅されてはあまり気持ちのよいものではありません。家臣の酒井忠次たちが止める中、一枚の肖像画を持ってこさせます。それは先年、武田軍との三方ヶ原の戦いでこてんぱんに敗北を喫した時に絵師に描かせた家康の姿でした。上洛を志した武田軍に一矢報いようと迎え撃った勇敢な徳川軍。痛い敗北でしたが家康はその時の事を今も心にとどめ、三河を死守し、領民の心を掴んでおれば、いつかチャンスが到来するだろうと考えておりました。家康「小牧・長久手の戦いをお忘れか、美濃路までお出迎え致そう。」徳川軍は地の理も知り尽くしているとなれば、一豊も黙るしかありません。交渉は失敗に終わります。
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その頃、長浜城では千代が侍女たちを引き連れて火の用心の見回りをしておりました。よねも母上と一緒に見回りをしたい、と申し出ます。けれど、千代は後で御伽草子を読んであげるから、と部屋で待機するようよねに言うと、見回りの再開を始めます。よねは仕方なく、独り自分の部屋で待つのです。十一月二十九日、天正の大地震が長浜の地を襲いました。一豊が長浜城になってわずか四ヶ月後のことでした。崩れ落ちる壁、柱、天井。とても正視できる映像では無かったです。千代は下敷きになりました。
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一豊は長浜への岐路に着いておりましたが、伝令の報せを受け、一目散に馬を走らせます。
よね姫様ご落命…。どんなに辛かったでしょう。(>_<)
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長浜城へ戻った一豊。そこには冷たくなったよねと、
泣き崩れる千代と法秀尼の姿がありました。
大名となるという幸せの代わりに、天はよね姫を奪われたのか…。
一豊はつぶやきます。千代は己の不注意を責めるばかり。
よねを寂しい思いの中で死なせてしまいました…と。
一豊も言葉が出ません。
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よねの葬儀が終わり、長浜城の修復が始まり、
千代と一豊は京の屋敷に移り住みました。
京の町で出会ったキリシタンの女性に「人の死は悲しみではない。」
ということを諭され、南蛮寺を訪れた千代は、細川玉に会います。
玉に心の内を聞いてもらい涙を流す千代。
千代と一豊の心に変化が出てきます。
家康を上洛させるために秀吉が採った方法とは?
次回も悲しい話が続きそうです。
関西地区の視聴率は17.8%でした。
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2006/08/10 07:35|功名が辻TB:0CM:6
 

功名が辻第30回一城の主 

2006_30_1天正十三年(1585)七月、秀吉は関白となり一豊は長浜城主になっておりました。千代は「吉兵衛、見ていますか。殿のお城でございますよ。」と亡き吉兵衛への想いを胸に抱きながら、長浜城に入りました。新右衛門(前田吟さん)も「吉兵衛、お主が生きておったらのう。うるさいほど喜んだであろうに。」と遺髪を握り締め、吉兵衛に想いを馳せます。そして息子の新一郎と共に、大広間へ向います。山内一豊(上川隆也さん)は髭をたくわえ、貫禄を増しています。上川一豊「ここまで来ることが出来たのは皆のおかげじゃ。改めて礼を言う。」と家臣たちへの感謝の言葉を口にします。
2006_30_2吉兵衛の弟、五藤吉蔵(小倉久寛さん)も正式に召抱えられることになりました。五藤家は幕末まで三百年間に渡り、山内家に仕え、支え続けることになるそうです。一豊と千代は琵琶湖の夕暮れを眺めながら、一城の主になれた喜びを語り、これまでの出来事を懐かしみます。法秀尼を長浜城に呼び寄せようとしましたが、法秀尼はやんわりと断りました。一豊の弟の康豊(玉木宏さん)が気掛かりだといいます。康豊は本能寺の変の折、行方知れずになりました。商人が法秀尼にふみを届けてくれたので、生きていることがわかったのです。
  秀吉は羽柴秀次を近江八幡城主に任命しました。
2006_30_3柄本秀吉
「一豊、吉晴、一氏、その方らにこの秀次の宿老を申しつける。」
宿老三人「はっ。」
柄本秀吉
「おみゃあたちにはよ。それぞれ城をくれてやったろ?おっ?
有り難いと思うなら、この甘ったれの秀次を一人前の大名にしてやってくれぃ。」長浜城の門の前で怪しい牢人を捕らえた、との報せが千代に届きます。千代が出向いて確認したところ、それは康豊でした。
2006_30_42006_30_5千代は驚き急いで大阪の一豊に早馬を、法秀尼にも迎えの輿の手配をするよう指示します。康豊はこれまでにいきさつを話します。山内家の血筋を絶やさぬために、と志を忘れず、溝口秀勝を頼って生き延びておりました。しかし、羽柴軍が明智光秀を素早く討ったために行き場を失い、浪々の身となっていたのです。2006_30_6画像は丹波の味土野(みどの)の地にて、穴に落ちる康豊さんです。【鉄さんのコケル時とは違った演出でした。(・∀・)どちらもカッコいいです。雲泥の差だと思ったことは内緒にしておきます。(´ー`)】落ちて足を負傷した康豊を助けたのは細川玉でした。千代は複雑な思いにとらわれます。康豊は、宮津の城より使者が来て玉が城へ戻る決心をしたこと、己にかけてくれた言葉を千代に話します。「まだまだやり直す道はあるでしょう。流れに逆らわずに素直に生きてみたらどうでしょう。」2006_30_72006_30_8この言葉を聴き、康豊は兄の一豊を頼ろうと決心し長浜にやって来ました。法秀尼が到着し、康豊と感動の対面を果たします。千代は嬉しそうにその光景を見つめていました。大阪から帰還した一豊と康豊も再会を果たします。一豊「康豊、よくぞ生きておった。」康豊「これまでのご無礼、何卒お許しくださいませ。」一豊「わしとて、そなたのことを考えぬ日は一日たりとてなかったぞ。兄弟の縁は、一生消えはせん。康豊、わしのもとで存分に働け!」康豊「兄上と山内家のため、この命、捧げまする。」一豊「うむ。(嬉しそう)」2006_30_92006_30_10長浜城に寧々がやって来た場面がありました。北政所(きたのまんどころ)と呼ばれるようになっています。長浜に山内家が入城することになり、浅野寧々は喜んでいます。細川家(細川忠興と正室の玉)についての噂話をしに、千代に会いに来たのでした。仲がうまくいっていないことを知り、千代は驚きます。寧々は茶々のことを快く思っておらず、秀吉と茶々が戦の最中だと言います。2006_30_112006_30_12茶々は石田三成を呼び寄せ、自分がこのまま秀吉のものになってよいのか、問い詰めました。三成は茶々に、秀吉のことを猿呼ばわりしてはなりません、と強く諭します。それでも食い下がる茶々に対し、頑として茶々を拒絶。秀吉への忠誠を貫きます。越中の佐々成政が秀吉に降伏しました。領地だった富山城を受け取るために秀吉から命を受けた大名達が長浜を通ります。そのための兵糧その他の支度と宿の提供を一豊が担うことになります。
「戦場には数え切れぬほど出たが、このような仕事は初めてじゃ。(・∀・)」
一豊は焦りながら千代に助けを求めます。2006_30_132006_30_14千代は手際よく家中の者達に指示を出し、自らもてきぱきと仕事をこなしていきます。
よね(森迫永依さん)も特大おにぎりを作っておりました。(・∀・)康豊もきっちり仕事をこなします。無事に接待を終えて安堵するかと思いきや、一豊が蔵の中を見ると、そこには蓄えてあった兵糧や物資はすっかりなくなっておりました。驚く一豊。2006_30_15この城で戦となったときはどうするのじゃ、と動揺しています。千代は、当分この辺りでは戦はございませぬ。もしも万が一戦が起こったときでも、関白様(秀吉)の後詰めでございましょう。いざとなれば関白様におすがりすればよいのです。」と笑顔です。【後詰め:先陣や本陣の後ろに位置して、味方の応援や物資を供給しながら支える役目が主です。】それを聞いた一豊は、そうではなくもっと将来のたくわえをどうするのじゃ。('∇')と困惑気味です。すると千代は、二万石の城主だけで終わるつもりではないでしょうね、と返答します。城主で終わらず、国主になられるのでしょう!と。(^-^)千代とよねは、やめぬか!(照れ笑い)と言う一豊を囲んで、国主様音頭を踊っていました。

すべてあらすじを書く時間が取れなくなっています。
ご了承くださいね。<(_ _)>
次回は千代と一豊夫婦に悲劇が襲います。
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2006/08/03 11:20|功名が辻TB:1CM:10
 

功名が辻第29回家康恐るべし 

織田信長の後継者の一番手に名乗りを上げた羽柴秀吉は、その権威を見せつけるために大阪城の築城に取り掛かりました。天正十一年九月、本能寺の変からわずか一年三ヵ月後のことです。
姫路城では仲間千代が寧々に「大阪の御殿にはいつお入りでございますか。」と訊いておりました。
浅野寧々は「そんなことはどうでもよいのじゃ。あの猿顔のどこが上様じゃ。(・∀・)うちの人は、はしゃぎすぎじゃ。」そうは思わぬか?」と千代に話を振ります。さらに「うちの人は茶々殿のために大阪城を作っておるのじゃ。」この言葉に千代は思わず「まさか。」
2006_29_1そこへ柄本秀吉が「おー、千代殿、相変わらずの女子ぶりじゃ。(・∀・)」と入って参ります。秀吉は「一豊はどうしておる?腐っておるじゃろう。徳川殿のもとへ行きたいと言わなんだか(・∀・)?」と探りを入れますが、千代は的確な応対をして秀吉に褒めれます。浅野寧々は「よう、ぬけぬけと。」と千代の対応に半ば呆れて感心しておりました。その後、千代は治兵衛(成宮寛貴さん)と再会します。羽柴秀次となった彼は宮部継潤へ人質に出された後、一旦戻りましたが三好家に養子に出され、明智光秀と戦った山崎の戦の折には池田恒興を味方につけるために恒興の娘を嫁に取らされた、と言います。2006_29_2.jpg【池田恒興は母が信長の乳母だった関係で、織田家中において力を持っていた武将です。】千代は秀次を励まし、秀次もまた徳川殿との戦では大手柄を立て、叔父上の秀吉を喜ばせてあっ、と言わせます、とはりきっています。千代は「徳川殿との戦」があるかもしれないことを、秀次の口から知りました。
山内家の屋敷において、一豊と千代の場面です。「上様は羽柴秀次を跡取りにと考えておるようじゃ。」と言う一豊に対して、千代は驚きの声を上げます。上川一豊「されど秀次様は、天下人となられるには少々気が弱くお優しすぎると皆申しておるわ。」千代「旦那様もお気が弱くお優しいではございませぬか。(^-^)」一豊「じゃからわしは偉くなれんのじゃ。(-_-;)」千代「上様は家臣達を試しておられるのではございませぬか?禄の高さだけが忠義篤き者の印ではありませぬ。真の忠臣は誰か、上様は今、探しておられるのでは?」一豊「孫兵次や茂助との論功行賞に差を付け、わしを試しておるというのか(・∀・)?」千代「上様は織田家のお血筋が残っていることで苦労なされておりまする。おそらくは天下統一のため、真に忠義を誓う家臣を見極め、子飼いの武将を御一族となしてつながりを固めようとなされているのでは?」一豊「うーん。」千代「謀反を起こさぬ真の家臣は誰か見極めておいでなのでございます。」一豊「うむ。」
天正12年(1584)正月、安土にて三法師を抱えた秀吉に諸侯が新年の挨拶に訪れている場面です。2006_29_3越前から遠路はるばるやってきた丹羽長秀が三法師に歩み寄りますが、秀吉は「無礼であろう!」と衆目の前で罵倒します。織田家中において絶大な功績のあった丹羽長秀。忸怩たる思いで席に着きますが、体調も優れません。「猿め、わしが目の上の瘤となったか。方々、猿にご用心あれ。」という言葉を残しますが、その一年後、丹羽長秀は病のため寂しくこの世を去りました。
中村一氏(田村淳さん)、堀尾吉晴(生瀬勝久さん)、山内一豊(上川隆也さん)三人で語る場面です。田村一氏「三法師君への参賀の後、織田家のお歴々は皆、信雄様のお屋敷に向った挨拶に行っておるそうじゃ。」生瀬吉晴「上様もか?」一氏「上様が参られるわけなかろう!(呆)」吉晴「そうよのう。」一氏「上様には狙いがあるのじゃ。( ̄ー ̄)」上川一豊「狙い?」一氏「織田家の宿老が皆、挨拶に来たというに、上様だけが来ないとなれば、信雄様はどう思われる?」吉晴「信雄様は、上様を疑う。」一氏「そうよ。そして。」吉晴「上様を恐れる。信雄様は、徳川殿と手を結ぼうとする。」【並べられていた菓子を、生瀬さんは一つ残して、全部取ってしまいます。(´ー`)】一氏「そうよ。」吉晴「さすれば上様には、信雄様を討つ口実ができる。」一氏「上様にとって織田家は最早、無用のもの。」吉晴「織田家も徳川家もいっときに滅ぼすことができる。さすれば名実共に羽柴の世にはなる。」一氏「そうよ!(・∀・)!」上川一豊「されど、徳川様には上様と戦をするつもりはあるまい。徳川様は日本一律儀なお方じゃ。(・∀・)金ヶ崎の殿(しんがり)の時のことを覚えておらんのか?徳川様は上様と戦わん!(`´X)」中村一氏と堀尾吉晴、両名そろって「甘いのう〜(・∀・)」山内一豊「わしは徳川様を信じる。(`´X)」一豊以外の二人「甘いの。(´ー`)」
屋敷に帰った一豊と千代の会話の場面です。
上川一豊「何?千代もそう思うのか?(・∀・)?」
仲間千代「はい。徳川様は柴田勝家様にお味方されず、こたびの新年参賀にもお出ましにならず、ご領国でじっとしておられます。それこそ天下を狙うおつもりだからではございませぬか?」一豊「うーむ。徳川様は律儀が取り柄のお方。亡き信長様がいかなる無理を仰せになっても、決して逆らうことをなさらなかった。大それた望みがあれば、とっくに動いていたおいでであろう。」「その頃は徳川様は十分な兵をお持ちにならなかったからにございましょう。」と千代が意見を述べる場面が続きます。2006_29_6一豊も「秀吉の領地は六十余州のうち二十四州(六百二十八万石)ある。上様の敵ではないわ!」と言い返しますが、千代は続けます。「されど信雄様の百万石が加わればどうなりましょう。三河武士は勇猛な上、主君のためなれば水火を厭わぬ、と聞きます。武田滅亡の後、あまたの甲州浪人を召抱えたゆえ、徳川様のお力は日本一かもしれません。」一豊は怒ります。「黙れ! そのような口をきくな。戦や政のことをわしに対して得意げに語るとは何事じゃ!(`´X)」千代「思ったことを申したまででございます。されど、それで旦那様の気分が害されたのなら、それはわたくしが悪うございました。」一豊「何じゃその物言いは!(▼▼メ) 」2006_29_7一豊の逆鱗を目にし、後ろでよねが恐怖のあまり運んできたにぎり飯を落とします。よね「喧嘩はおやめ下さいませ。父上は、いつ戦にお出ましか、わからないのでございます。せっかく母上とよねと一緒にいられる時に、喧嘩は嫌でございます。」千代「よね、心配することはないのですよ。今のは喧嘩ではありません。話し合いをしていたのです。」一豊「いや。よねの言うとおり。喧嘩じゃ。父が悪かった。千代、よね、許せ。」千代「殿!」よね「父上!」上川一豊「うーん、悪かった悪かった。父が悪かったのう。(・∀・)うん。」2006_29_8秀吉と石田三成の場面です。徳川家康に頭を下げさせ上洛して欲しい秀吉が、三成に意見を求めています。「徳川殿の官位を上げて戴く様、朝廷に推挙なされてはいかがでしょう。」という三成。秀吉も同意し、正四位下左近衛権中将でも納得しない場合、従三位参議に、と言います。秀吉よりも位が上になることに驚く三成。しかし家康は頭を下げませんでした。秀吉に対して礼状をしたため、挨拶することで済ませたのです。秀吉は「家康〜〜〜!」と怒りをあらわにします。2006_29_9その頃、織田信長の次男、信雄が徳川家康のもとを訪ねておりました。器量では信長に遠く及ばない信雄。遠江の浜松城での対面です。家康は信雄の力になると約束します。信雄は秀吉への憎しみの気持ちを話し、某が立つときはご助勢願えるであろうか、と。家康はこれにも「もちろんでござります。家を挙げてお助け致しましょう。」と良い返事をします。ところが、信雄が発した言葉は「して、勝つ算段はござろうか?(・∀・)?」家康は内心驚き、「信雄様のお考えは?」と逆に問うのです。信雄は、秀吉を苦々しく思っている諸侯は、必ず某に馳せ参じまする、と述べます。家康は呆れ返りながらも上手に、「ならば、そちらの調略はすべてお任せ致しましょう。」信雄も自分が言った手前、頷かざるを得ません。2006_29_102006_29_11家康「信雄殿は、まことのうつけであるな。」徳川家の重臣達も、信雄の思慮の浅いことを嘲り笑います。時は戦国の世ですから当然かもしれません。家康は、「四国の長宗我部元親、紀州の雑賀党・根来衆、越中の佐々成政、関東の北条氏政にはふみを書いておこう。まことのうつけとは申せ、信雄殿は二万五千の兵を持っておる。我ら三万四千と合わせれば、戦いようはある。勝機はあるか。」重臣達三人「御意。」【本多作左衛門は「三河武士の力を、あの猿めに見せ付けてやりましょう。」とやる気十分です。本多忠勝が登場していないのが残念です。】2006_29_12天正十二年(1584)三月、家康がついに立ちました。小牧・長久手の戦いの始まりです。美濃の大垣城にいた秀吉のもとへ森武蔵守長可が酒井忠次の守る城を攻めたものの、攻め返され退いた報告が入ります。秀吉は激怒。尾張に出陣します。秀吉軍は犬山の楽田に陣を構え、小牧山の家康軍と対峙します。破れた森長可と池田恒興が詫びに来ますが、秀吉は「たわけめが、もうよい。」と。動かぬ家康に、持久戦の様相を呈します。猿と狸の化かしあいということでドラマの中ではあの手この手で秀吉が家康を挑発しておりました。家康の家臣達は怒りましたが、肝心の家康は全く動じません。むしろ秀吉のパフォーマンスを楽しんでいます。睨み合いは五日間、続きました。2006_29_13小牧山の陣に兵が増えているという報告がありましたが、秀吉も黒田官兵衛も先に動いた方が負けだという考えに変わりはありません。ところが、森長可と池田恒興は家康の本国、三河が手薄であると主張。岡崎城を攻めたいと申し出ます。そのような中入りの攻撃はいかん!と秀吉。官兵衛も、「賤ヶ岳の戦を思い出されませ!(`´X)柴田の兵が中入りを仕掛けたからこそ、我が方が勝ったのでございますぞ。動いてはなりませぬ。」と釘を刺します。しかし、森、池田の両将はあくまで中入りを主張し、秀吉の甥の秀次も強く申し出ております。「家康の術中にはまるからやめておけ。」という黒田官兵衛の諫言は遮られてしまいます。秀吉は根負けし、「そこまで言うならやってみよ。」と。羽柴秀次を総大将に、軍が編成されます。山内一豊と堀尾吉晴も秀次軍の補佐に同行しました。2006_29_14けれど、この動きは徳川軍に察知されることとなり、服部半蔵がすぐさま家康に報告。家康は敵の裏をかくために、夜半に出陣することを決意。「奇襲には奇襲を持って討つ。」千代と祖父江新右衛門の場面がありました。千代は秀次の安否を心配しておりました。秀次軍は徳川軍の猛襲を食らい、壊滅します。一豊は「出あえーーーっ!秀次様をお救い申す。」と命を賭けて救出に向います。その頃、秀吉の本陣には、次々と武将討死の報告がもたらされていました。池田、森両名は帰らぬ人となりました。徳川軍の引き際も鮮やかです。秀吉はただ辛い報告を聞くのみでした。秀吉「見たか者供!徳川殿の武勇を。とりもちにも網にもかからぬ名将ぶり。日本広しといえども、家康殿を置いて他にはあるまい。長袴など履かせて上洛をさせ、我が家来にしたいものよ。官兵衛、これより信雄を調略せよ。信雄を立ち枯れに枯れさせてしまえば、家康も動けまい。」斎藤官兵衛「はっ。」命からがら逃げ戻ってきた秀次に対して、秀吉は刀を抜きます。秀吉「わしは人を斬るのは嫌いじゃが、うぬのようなうつけを生かしておくわけにはいかぬ。覚悟致せ!」一豊は必死になって、秀吉に対して侘びを入れるように秀次を諭します。秀次「お許し下さいませ。(泣)」秀吉「失せろ。」2006_29_15秀吉と信雄が和睦をしたことに家康は驚きの声を上げます。石川数正を使者に立て、口上を述べさせることにしました。「こたびの和睦、めでたき限り。天下万民の喜び、ここに極まりて候。」天正十三年四月、天下の名城、大阪城の本丸が完成し、秀吉の天下統一の基盤が整いました。その年の七月には秀吉は、最高の官位である関白太政大臣の職に就きました。山内一豊は、秀吉に呼び出されております。招き猫のように一豊を近くまで呼び寄せ、褒美をやろうと言う秀吉。「山内一豊、そちは秀次を身をもってかばった。阿呆じゃがわしの血筋、跡取りにしたいと思うておる。」2006_29_16一豊が屋敷に帰ってきた場面です。一豊「城が … 城もらった。」千代「城もらった?」一豊「そうじゃ。千代、よね、喜べ。城をもらったぞ。長浜城を賜ったんじゃ。長浜じゃ、ほれ、琵琶湖の長浜じゃ!」千代「えっ?」一豊「一国の主じゃ。<(`^´)>はっはっはっは。」千代を抱き寄せます。周り「おめでとうございまする。」千代「一国の主。はっ、ふうっ。」【気を失うまねが上手です。(´ー`)】一豊「おっ、千代、大丈夫か。」千代「目がまわってしまいました。」2006_29_17一豊「うれしいか。」
仲間千代「殿、うれしゅうございまする!」
上川一豊「そうか。うれしいか。(・∀・)はっはっはっはっは。い痛い痛い!」【嬉しそうな顔をして、思いっきり上川さんのほっぺたをつねっております。(`´X)】千代「夢ではございませんのね。あの長浜で暮らせるのでございますね。」一豊「されどな、千代。確かめるならば、ここであろうが!(`´X)」千代「あっ。(・∀・)」一豊「あっではない。」千代「はい。確かに。夢ではございませぬ。夢がかなったのは夢ではございませんでした。」一豊「千代!」千代「旦那様!」一豊「やったぞ!千代!」千代「やりました、やりました。」一豊「一城の、一城の一国の主じゃ!」
めでたしめでたしです。(^-^)/
関西地区のこの回の視聴率は19.0%でした。
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2006/07/27 10:03|功名が辻TB:0CM:9
 
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